「……」

 タクシーはあのマンションの前につけられた。渉はタクシーチケットを運転手に渡すと、無言のままタクシーを降りた。その後を慌てて悠は追った。

 昨日、初めてきた時と同じように渉は悠をマンションに連れ込むと、そのまま寝室に連れていった。

「…的場」

 昨日のようにまた、と思っていると、渉は悠をベッドに押し倒した。

「下、脱いで。薬塗るから」

「…あ、いや、いい…」

 首を振って抵抗すると、渉は焦れたように悠を押さえつけてズボンを無理矢理降ろさせた。

「的場ッ!」

「あーあー、放っておいたな、ただれてんじゃん」

 渉はそういうと、ベッドサイドに置かれたチェストから塗り薬を取り出すと、悠にまるで犬のような格好を取らせて、昨日散々蹂躙した場所に薬を塗り込んだ。

 ひりひりとした痛みが蘇るのと、ひどく情けない気持ちになってきて、ひどく泣きたくなった。

 どうしてこんな目にと思う。

 自分ばかりがと思いたくもなった。

 よりにもよって、惚れた相手に性的なはけ口にされるなんて、これ以上ない屈辱じゃないだろうか。

「よし、と」

 治療が終わったのか、渉はそういうと、悠の身だしなみを整えて、ふうとため息を零した。

 その声に思わずびくりと身体が震えた。

 面倒だと思われたのだろうか。

 いや、そう思われた方がいいはずなのに、どこかでこんな歪な関係にしがみつきかけている。

「…どうした?」

 何も言わず、シーツに顔を埋めている悠が気になったのか、渉がそう声をかけるのに、慌てて悠は涙がわいてきていた目をぐいと拭った。

「…なんでも、ない」

 声がうわずっている。どうしても平静を装えない。

 悠は小さく息をして、身を縮めた。

 その悠に何を思ったのか、渉はそっと布団をかけて、その上から悠を抱きしめた。

「…的場」

「…寝ろ、今日はいいから」

「……」

 柔らかい渉の声。

 その声に悠はぎゅっとシーツを握った。

 昨日から何かがぐるぐると急に動いているようで、身体も頭もついていっていない。

 渉を見ているだけでよかったのに、近づけたと思えば、こんな辛い状況になっていた。

 それでも背中に感じる渉の暖かな体温と吐息に自然と瞼が落ちていく。

 ゆるりと押し寄せた眠気にただ黙って悠は身を任せた。

 そのままかなり眠ってしまっていたらしい。

 気づいた時には寝室の窓のカーテンの透き間から、わずかに夕焼けの光が注いでいた。

「…あ」

 ベッドには悠一人しかいない。

 渉はどこにいったのか、渉が寝ていたはずのベッドの片側は冷たく冷えていた。

「……」

 仕事にでも出かけたのだろうか。最近忙しくなってきたらしい渉は学校に来る日も限られていた。それを考えると、一日この部屋にいるなんてことは考えづらい。

 悠は寝起きで重い身体を何とか起こして、ベッドから降りた。

 部屋はオートロックで鍵を持っていなくてもどうにかなるだろう。

 渉がいないのに、この部屋にいるのも嫌で、悠は帰ろうと寝室のドアを開けた。

「ああ、起きたんだ」

 そこには渉がいた。教科書を広げ、プリントを解いている。そういえば、仕事で勉強が遅れがちな渉に、教師が課題を出していると聞いていたが、その課題だろうか。

「身体は?」

「…え、…ああ」

 そういえば、随分軽い。

 熱っぽかったのも、痛んでいた身体も随分楽になっていた。

「…楽に、なった」

「そう」

 渉はそういうと、悠に座れとソファーを薦めて、自分は立ち上がった。

 本当は帰りたかったが、ここで断ってまた行為を強要されるのが嫌で、悠は黙って座った。

「ほら」

 渉の解いていた数学の課題を覗き込んでいた悠に渉が何かを差し出した。

「…え?」

「この部屋の鍵と携帯。持ってろ」

「……」

 呆然としている悠の手に半ば無理矢理それらを握らせて、渉はまたソファーに座って課題をこなし始めた。

「…的場、これ…」

 どうしていいのか分からず、鍵と携帯を受け取った時と同じ格好で渉に見せて、悠が問いかけると、渉は悠を見ないで答えた。

「だからさ、お前を呼び出すのに、ないと困るだろ、携帯。家電書けるの、嫌だし。そしたら用意するしかないじゃん。ただし、それ、オレ専用だからな、他のヤツにメルアドとか番号、教えんなよ」

「…でも」

「でもも何もねぇの。逆らうのは許さないからな。それから鍵も渡しておくから、勝手に入ってもいいから。盗られて困るもんも、見られて困るもんもないから。まあ、なんかしたら速攻写メが協会行きなだけだけどな」

「……」

 渉は簡単に悠の口を塞いで、矢継ぎ早にそう言うと、ちらりとも悠を見なかった。

「…分かった」

 違う場面でもらったなら、喜んだかも知れない。

 携帯のような高価なものを渡されて、ためらう気持ちもあるけれど、それでも違う場面なら喜んだだろう。

 鍵だって、今の言葉だって、嬉しかったに違いない。

 けれど、渉は悠を便利に使うために必要としただけなのだ。

 悲しくて、寂しかったけれど、どうしようもない。

「預かって、おく」

 ぽつりと言って、テーブルの近くに置いてあった自分のカバンに携帯と鍵を突っ込むと、悠は俯いた。

「携帯も、オレの番号、登録してあるから、なんかあったら電話しろよな」

「……」

 なにか、なんてあるのだろうか。

 ないだろうなと思いながら、悠は頷いた。

「…あ、あの、オレ、帰るよ…」

「ん、分かった」

 渉は悠が恐る恐る言った言葉に軽く応えた。

 だが、ソファーから立ち上がった悠の手を不意に掴んだ。

「オレが呼んだら速攻来いよな。来なかったら許さないから」

「…分かってる」

 抵抗なんかもうする気はないのに、どうして念押しをするのだろう。

 渉の言葉がますます悠の心を苦しめる。

 悠はきゅっと唇を噛むと、帰ろうと渉に背を向けた。

「…え?」

 だが、その悠の身体が動かなかった。

 渉の手がしっかりと悠の腕を掴んでいたからだ。

「…的場」

「…ちっ」

 小さく舌打ちした渉は乱暴に悠の腕を振り払うように離した。

「…的場、何か…」

「何もないよ。帰れよ、もう」

「……」

 渉はそれだけ言うと、また悠の存在を無視して課題に取りかかった。

 その姿に悠は小さくじゃあと告げてマンションを出た。

 建物の外に出ると、もう夕暮れだった。

 夕闇の迫る中、マンションが静かに佇んでいる。

 あの部屋はどこか寂しげだった。

 渉は課題を仕上げるとまた仕事に出かけるのだろうか。

 忙しいのもいいけれど、身体を壊さないかとそれだけが心配だった。

 そんな心配も渉には鬱陶しいものかも知れないけれど。

 皮肉なものだとも思う。

 あれほど親しくなりたいと思っていた相手に脅迫されている。そして、そうなって初めてここまで近づけた。

 本当に皮肉だ。

 もう、言えないけれど。

 もう、何があっても言えないけれど。

 けれど、脅されて、いいようにされて、それでも嫌いになれない自分の心がおかしくて、悠は少し笑った。

 もうどうしようもなかった。











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2009.1.10

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