ドアを背にし、立って悠をじっと睨むように見ている姿に悠は慌てて身を起こした。

「…ッ…」

 途端、痛みがせりあがる。突然動いたものだから、余計にひどい気がする。

 悠は痛みに指先までしびれるのを感じて、そのまま椅子の上に蹲った。

「痛むんだろ、ったく、馬鹿じゃねーの、昨日の今日であんなハードな練習に出るなんて」

「…それは」

「おい、口開けな」

 渉はそういうと、悠の口を開けさせ、その上でキスで塞いだ。

「…んぅ…」

 息苦しい。しかも何かを飲みこまさせられた。

 ショックでむせそうになった悠に渉は肩を竦めた。

「飲ませたのは鎮痛剤と解熱剤。お前、まともに傷の治療もしてないだろ、熱も出てるし、そんなのでよく動いてるぜ、ったく。本気で馬鹿だろ」

「…そんな」

 ひどいことばかりを言われている。

 けれど、その言葉に言い返すこともできず、悠は下を向いた。

「おい、カバン持て。帰るぞ」

「え?」

「だから、帰るって言ってんの。サボるんだよ」

「そんな…」

 今まで無遅刻無欠席できている。何のとりえもない悠は真面目でいるしかないと思っていた。

 その悠にサボれと渉が言った。

「オレは…」

「別に、できないならいいけど、昨日の画像、協会にそんなに送ってもらいたいんだ、お前」

「……」

 そうだった。

 渉の言うことに否を悠はいえないのだ。

 渉の言葉に悠は身を強張らせた。

「…わか、った」

「納得したなら、さっさと来いよ。ぐずは嫌いなんだよ、オレ」

「ああ」

 悠はそれ以上何も言うことができず、そのまま渉の後に続いて出た。

「悠」

 部室を出たところで、何か取りにきたらしい部活仲間に会った。

「どうした、帰るのか?」

「…あ…」

 どうしようかと思いつつ、悠はゆっくりと口を開いた。

「…ちょっと風邪、引いてるらしくて、辛いんだ。だから早退しようと思って。…担任に言っておいてもらえないか?」

「ああ、いいよ。そういや顔色悪いもんな、ゆっくり治せよ」

「ああ」

 比較的よく部でも話をする男だった。

 人の良い、性格も穏和な彼に嘘をついてしまったことがひどく忍びなかったけれど、そうするしかなかった。

 悠はとぼとぼと歩き出すと、二人のやりとりを見ていた渉が後からついてきて、にやにやと笑いながら言った。

「あんな嘘もつけるんだ、羽住って」

「……」

「優等生っぽいのになあ」

 誰がその嘘をつかせているんだ。

 悠を脅しておいて、なのにその脅しに従えばいかにも悠が悪いようにいう。

 渉の言い様に悠は腹が立ってもきたが、結局それほど怒れないことに気づいていた。

 長く思っていた時間がそのまま悠を渉への思いに雁字搦めにしてくれる。

 辛いけれど仕方がなかった。

「こっち」

 渉は登校してくる生徒の中を縫って裏へと回る。

「お前は知らないだろうけど」

 そういって、渉はちょうど校舎の裏側、フェンスが破れた部分を指した。

「ここから出るから。ついてこい」

「……」

 こんな場所があったのか。

 サボったこともなければ遅刻をしたこともない悠には覚えておく必要もない抜け穴。

 そこを悠は渉に続いて抜け出て、校舎の外に出た。

「じゃ、帰るか」

 そういうと、渉はちょうど通りかかったタクシーを止め、行き先に自分のマンション名を言うと、そのまま後部座席に身を沈めた。

「的場、オレは…」

「ところでさ、羽住」

 悠が何かを言おうとした途端、的場が悠を見た。

「…なんだ?」

 悠は仕方がないかと渉の言葉を促した。

「携帯の番号教えてよ」

「携帯?」

「うんそう、携帯」

 言って、ポケットから携帯を取り出した渉に悠は小さく答えた。

「持って、いない」

 本当のことだった。

 悠はそう友達が多いわけでもなく、学校に行けば会えるのだからと、携帯を持つ必要を感じなかったために持っていなかった。

 親からは部活で遅くなることもあるからと、持つことを進められたけれど、それでも携帯を持っても連絡をする相手が家か友達の数人となれば必要ないからいらないと断ったのだ。

 けれど、渉はそれを鼻で笑った。

「あー、そう。オレには教えたくないってこと」

 何か誤解しているらしい。

 本当のことなんだがと慌てて悠は言い訳した。

「…いや、そうじゃなくて」

「いいよ、別に。下手な言い訳しなくても」

 だが、それをやはり嘘だと思って、渉はむすりとそう言うと、もう悠を見ることはなくなった。

 そっと伺った先の、窓の向こうに流れていく風景を見る渉は本当に綺麗だった。

 渉のすっと通った鼻梁や、その色素の薄い鳶色の目を悠は見るのが好きだった。

 どこもかしこも無骨にできている悠には持ち得ないものだったから、余計に惹かれたのだ。

 決して女のように柔らかくはないけれど、渉の持つ優しい雰囲気が好きだった。

 だが、ここにいる渉は悠の脅迫者。

 甘い感情を持つことも許されない。

 なのに、こうなって初めて近づけたなんて皮肉すぎる。











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2008.12.27

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