こんなことなら勉強ばかりじゃなくて、他のこともしておくんだったと、高いフェンスをよじ登りながら、新一は自分の運動神経のなさを呪っていた。
 学校の体育だけで外で遊ぶことをしない子供、というのは確かに不健康だと思いもして、力の弱い手に文句を言った。
 新一は今、あの池の中に入ろうと、フェンスをよじ登っていたのだ。
 この池で何があったのか、それさえ解ければ、亮介とのこともうまくいくと思った。
 好こうと思うなと、亮介は言ったが、新一は亮介を好きになりたかったのだ。
「よいしょっと」
 何とかフェンスの上にまでよじ登った。
 ここから降りるだけなら、簡単だなと、それでも慎重に新一は下へと降りていった。
「…うー、冷たそうだなあ」
 とにかく、この池の中の石が問題。あの声はくじらの石と叫んでいたし、それも関係があるだろうから。
 池の周囲に立ってもまだ何も感じない自分の頭に新一はちょっと文句を言いつつ、靴を脱ぐと、池の中に足を踏み入れた。
 フェンスに囲まれていても、掃除の行き届いているこの池は結構底が見える。一年に何度か業者を呼んで水の入れ替えと水底の清掃を行っているのだから、同然だろうけれど。
 だが、まだくじらの石はまったく見えてこないのに、足でぐりぐりと底をあさりつつ、手で石をすくいあげた。
 実物は葉山に見せてもらっているから、足で探っていれば分かるんじゃないかと思っていたが、なかなかそうもいかず、新一は腕まくりをすると、手を肘まで池に突っ込んで底をあさった。
 池自体は浅い。新一の膝辺りまでの水位だ。だが、きっと幼児にはかなりの深さになるのだろう。
 普通は怖がっていかない場所にどうして亮介も新一も行ったのだろうか。
 当時の行動は不思議なことばかりだ。
「よいしょっと」
 ぐいぐいと水の中に腕を入れていく。不自然な姿勢に腰が痛むし、背骨への影響も気になった。
 だが、そんなことより今はくじらの石。全部の理由があの石ひとつに存在していると新一は思いこむように考えていた。
「この辺、怪しい…」
 藻の群生している辺りに手を突っ込んだ時だった。
「新一!」
 大きな声に新一は教師に見つかったらどうするんだと、声の方向を咎めるように見て驚いた。
「浅見…」
「何やってるんだ、おまえ!」
 亮介は言うと、フェンスをすごい勢いで登り始めた。
 自分はあのフェンス相手に四苦八苦していたというのにと、亮介の運動神経を羨ましく思いながら、新一は池の中を探った。
「浅見!」
 フェンスをさっさと越えて新一の近くまでやってきた亮介に目を向けて、新一は入るなよと制した。
「いいか、おまえは入るな。おまえはそこで見てろ」
「新一…」
 亮介の慌てた顔なぞ、他の連中は知らないんだろうなと思いつつ、新一は亮介に言った。
「前にも言ったみたいに、俺は事故の時の記憶がないんだ。これっぽっちもないんだよ。それでな、すごく疑問があるんだよ」
 新一は亮介に自分の考えを淡々と言った。
 当時、新一は亮介を第一印象から嫌いと位置づけていた。その嫌いな相手と幼等部から子供の足で一時間近くかかる池までどうやってきたのか。大人は亮介が連れだしたといっているが、嫌いな相手に黙ってついていくのはおかしいんじゃないかと。それも一時間もかかる道のりを。そして、この池に新一が浮いていた理由。
「だから、俺はきっと子供の頃、口が上手くて…」
「それ、あり得ない」
 新一は亮介の言葉をあっさりと撤回した。
「おまえ、子供の時から口べただったぞ。今だって、口数少なくて、そんなに口が上手いとは思えない。今でもそんななのに、子供の頃はってのはあり得ないだろ。きっと俺は自分の意志でここまでおまえと一緒にきたんだ」
 少しぼんやりしたところはあったけれど、子供の頃の自分は頭がよかったと新一は覚えている。口も達者だったし、立ち回りもうまかった。その自分がこの亮介のいうなりになるとはとても思えなかったのだ。
「とにかく、鍵はくじらの石だって、俺、分かっているんだ。だから、くじらの石を見つけるまで、そこで待ってろ」
「……」
 新一の言葉に亮介は黙って、立ちつくした。その姿によしと思うと、新一は池をあさった。
 くじらの石さえ見つかれば、きっと何もかもうまくいくと信じていた。
「…ん?」
 底を探り続けていた時、指先に何かが触れた。
「……」
 もしかしてと思って、新一は手に触れたものを拾い上げた。
「…あ…」
 泥にまみれて覗いた小さな白い石。もしやと池の水で泥を流して、その石をすくいだした。
「…見つけた…」
 葉山が見せてくれたものと同じ、潮まで吹き上げているくじらの形をした石。
 新一は亮介に向かって石を翳した。
「浅見、見つけた!」
「えっ?」
 驚く亮介に新一は満面の笑みを浮かべた。
「ほら、くじらの石!」
 だが、その瞬間、ぬかるんだ池の底に足をとられた。
「え、うわっ!」
「新ちゃん!」
 新一は自分の体が浮いたと感じた。
 足が宙を舞って、そのまま尻から落下した。
「…いてーっ」
 強かに打った尻の痛みに呻きつつ、新一は池の中に座り込んでいる自分の格好にふうとため息をついた。
 ずぶぬれもいいところだと、それでもくじらの石を握りしめている執念深さに自分で自分を笑った。
「新ちゃん!」
 その新一のところに亮介が大慌てで駆け寄ってくる。
 入るなっていったのに、何をやっているんだと、亮介に笑いかけようとして、新一は固まった。
「新ちゃん、大丈夫?怪我は?怪我はしてないっ?」
 焦った顔。人の顔を凝視する癖。
 それから、新ちゃんという呼び名。
「…りょおちゃん?」
「…新ちゃん?」
 その時、新一の中に五才の自分が帰ってきた。











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2007.3.17

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