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青みがかった目で見られると、やはりひどく緊張する。
綺麗な顔立ちだけに凄みがあるなと思って、幸也はため息をついた。
「八千代さんにお前のマンションでのこと、色々聞きにきたんだよ。お前に何を聞いても勝手にしろで教えてくれないだろ」
幸也がため息混じりに答えると、カインは目線を厳しくしたが、やがて気にしないことにでもしたのか、幸也のすぐ横を通り過ぎて家の中に入った。
「八千代」
カインは何度か家に来ているらしく、八千代の寝ている部屋が分かっているのか、そう声をかけるとそのまま家の中に入っていった。
その後を幸也も追った。
「元気か、八千代」
カインは八千代の布団の側に座ると、彼女を気遣うように優しい声をかけた。
「ええ、元気ですよ。カイン様のおかげで何不自由なく生活できておりますから」
八千代はそのカインに先ほど幸也に見せたものよりも数段優しい微笑を向けて頷いた。
「そうか」
その時、カインはふっと穏やかに微笑んで見せた。
その一度も見たこのなかったカインの微笑に幸也はこんな顔もできるのかと、驚いた。
3日間だけれど、一緒に生活をしていてカインがこんな顔を見せたことは一度もない。確かに笑いはするけれど、それはいつもどこか馬鹿にしたようなものだったり、ひどく冷たいものだったりと、まともな笑顔というのは見たことがなかったのだ。
だが、今ここで見せているのは血の通った微笑。
その姿にそうかと幸也は思った。
きっと、この八千代がカインにとっての克己なのだろう。
どこかいつも気を張っている幸也は克己の前では穏やかな気持ちになれる。笑いだって自然と漏れる。いつからなのか、分からないけれど、克己には随分気を許すようになっていた。
そういう相手がカインにとっては八千代だったのだ。
「また、何か不自由があれば必ず言うように。オレに電話をしても構わないし、宅間に言ってくれても構わない」
「はい、分かっております」
八千代はどこか尊大にも聞こえるカインの口調に、とても嬉しそうな顔で何度も頷いた。
その様子が何だか心地よくて、幸也は立ったまま、背中を壁に預けて眺めていた。
カインはその後も八千代の具合を何度も確認し、宅間にも診察をさせると、ようやく帰る気になったのか、腰を上げた。
「また、来る」
「はい、楽しみにしております」
八千代はカインの言葉に嬉しそうに頷いて、カインを見送った。
その八千代にあっさりとカインは背中を向け、宅間に行くぞと声をかけると、そのまま玄関へと向かった。
そのカインに幸也は一緒について行こうとしたが、そこに八千代が声をかけた。
「橘さん」
「あ、はい」
声をかけられて、慌てて振り向くと、八千代がじっと幸也を見つめていた。
「カイン様のこと、お願いします」
「え、あ、はい」
「お寂しい人なんです。ですから、どうか」
「あ、はあ」
幸也は八千代の言葉に瞬きを何度もして、何だか不思議な気持ちで頷きながら、カインたちの後を追って八千代の家を出た。
「……」
寂しい人。
そんな玉かよとも思う。
だが、時々カインが遠い目でどこかを見ているのは感じていた。
「橘さん」
「あ、はい」
一瞬物思いに耽っているとこを宅間に呼ばれて、はっとして慌てて駆け寄ると、彼が家の前につけたベンツの後部座席のドアを開けて待っていてくれた。
「すみません」
「いえ」
幸也が思わず頭を下げると、宅間は笑って首を振った。
宅間は幸也が乗るのを確認すると、ベンツの運転席に座り、ゆっくりと発進させた。
「あのさ、一宮」
「なんだ?」
カインは車に乗った途端、持ち帰ってきたものらしい書類を手にしていた。その姿にワーカーホリックというものなんだろうなと思いつつ、幸也はさっき思いついたことを口にした。
「今日、何食いたい?」
「……」
カインは幸也の言葉に手を止め、それから胡散臭そうなものでも見るような目を幸也に向けた。
「何を言わせたい?」
「うーん、別に?ただ聞いただけだけど」
「…なら、好きにすればいい」
「あ、そ」
この男の感情はどこにあるのだろう。
さっきまで八千代に対してみせていた優しい空気は消え失せて、ひどく冷たいものになっている。
何だか面白くない。
3日間、たったとみるか、すでにとみるか。
「よし」
ぐずぐずと考えているのは性に合わない。
幸也は気合いを入れるように声を上げて、膝を叩くと、運転席の宅間に向かって言った。
「宅間さん、すみませんけど、マンション近くのスーパーに寄ってもらえますか?買い物したいんで」
「分かりました」
宅間は幸也の言葉に頷いて、そのスーパーへと車を回した。
「幸也さん、着きましたよ」
「ありがとうございます」
駐車場に車を止めた宅間が声をかけるのに、幸也はよしとカインの腕を掴んだ。
「一宮、お前も行くぞ」
「…なぜ、オレが?」
「買い物、一人で行くのはつまんないだろ」
「ならば、宅間に…」
「お前が来い」
幸也はそう言うと、カインの腕を掴んだまま車を降りた。
車を降りると、幸也はカインが後を着いてくるのを確認しながら、スーパーに入った。
「一宮、カレー、嫌いか?」
「カレー?」
「そ、カレー」
幸也はカインにそう言いながら、カートにカゴを乗せ、店の中を見て回った。
「えーっと、たまねぎとじゃがいもと、…お、特売日だったのか、今日」
そう言いながら、カゴに放り込むのに、カインはどこか不思議そうな目を向けている。
そのカインに幸也は首を傾げた。
「お前、もしかしてスーパー初めてとか言う?」
「来る必要がないからな」
「…うわ、真面目にお坊ちゃんだな、お前は」
今時そんな人間がいるのかと、幸也が肩を竦めるのに、カインはそっとカゴににんじんを放り込んだ。
「なりたくてなったわけでもない。オレはオレでいたいだけだ」
「……」
すいと、いきなり近くなる。
そんな気がしたけれど、次の瞬間向けられた視線は元のままだった。
「ま、いいけど」
幸也はカインの様子にこれ以上突っ込んでも無駄だと流すことに決めて、適当に食材を買い込むと、袋に詰めた。
「はい、お前も持つ」
「…なんで、オレが…」
買ったものを入れた袋をカインに持たせると、さすがにむっとした顔をしたが、幸也が持つ気がないのが分かると、黙って袋を下げた。
その姿が何だかひどく面白い。
あの一宮カインがスーパーの袋を持っているのだ、面白くないはずがない。
「ほら、行くぞ」
「……」
カインはどこかむっとした顔をしていたが、それでも黙って幸也の後をついてきた。
元々カインは気難しいし、文句も多く、ひどく辛辣だが、幸也のすることを根っから批判したことはない。
食事の時も食前食後にきちんと手を合わせるし、挨拶もきちんとする。恐らく、さっき会った家政婦の八千代が教えたのだろうけれど、それを忠実に守る純粋さも持ち合わせているのだ。
3日間はたかが、ではなかったようだと、幸也は思った。
ただ憎らしいだけのクラスメイトが少しばかり近くなっていた。
「カイン様、橘さん」
宅間は車を降りて二人を待っていた。
そして、カインが買い物袋を下げていることに至極驚いた。そして、もちろんカインから袋を受け取ろうとしたのだが、その宅間の手をカインは首を振って断った。
「いい、かまわん」
「カイン様」
「早くドアを開けろ」
「…はい」
カインの様子に宅間は困惑していたが、カインに言われるまま、後部座席のドアを開けた。
幸也はその二人のやりとりを見ながら、逆の方向から車に乗り込んだ。
「では、マンションに向かいます」
宅間は二人が乗り込んだことを確認すると、車を先ほどと同じように動かした。
今度こそ、車はマンションの駐車場へと入り、そこから専用エレベーターで上へと昇った。
いつまで経っても慣れないだろうな。
専用エレベーターに、最上階を全て使った部屋。自分の主は特別なのだと言いたげなマンションの様子に幸也はため息を零した。
「さてと」
幸也は部屋に入ると、宅間がカインの代りに持ってきた食材を受け取って、キッチンへと入った。
「一宮」
そして、また書類を見始めていたカインに声をかけた。
「…なんだ、一体」
これで2度、邪魔をされているカインはその秀麗な眉を寄せて、不機嫌そうに幸也を睨み付けた。
「カレー、作るからさ、手伝えよ。ジャガイモの皮むきくらい、できっだろ?」
「…何?」
驚くカインに構わず幸也は早くと呼んだ。
何をとむっとするカインに宅間がくっくと笑って、カインの肩を叩いた。
「カイン様、お手伝いされてみたらどうですか?気晴らしにはよろしいんじゃないですか?」
「……」
カインはどうやら、この宅間にも弱いらしい。
宅間の言葉に瞬間悩んだようだが、仕方なさげに立ち上がってキッチンへと回った。
「…何をすればいいんだ?」
「じゃがいもの皮剥いて。皮むき器、貸してやっから。いいか、こうやんの」
「……」
実演してやると、元々器用なカインはあっさりとやれてしまった。
きっと、皮を剥くだけ、ならできるんだろうなあとその様子に幸也は目を細めた。
これで最後までやれとなるとできないのだろう。
カインが皮を剥いている間にとサラダの用意をしながら、幸也はどんどん食事の段取りをしていく。
結局、カインが手伝ったおかげで多少夕飯の時間は早くなり、いつもは一緒に食事をしない宅間も食事をして、その後カインと打ち合わせをして帰っていった。
「橘さん」
カインは決して出てこないのだが、幸也は一応宅間が帰る時に玄関まで見送る。
その時、宅間は軽く挨拶だけをして帰るのだが、今日は違った。
「今日はありがとうございました」
「え?」
何のことだと驚く幸也に宅間は笑った。
「カイン様があんなにリラックスしてらっしゃるのを見るのは久しぶりです。橘さんのおかげです」
「…宅間さん」
「どうか、カイン様のこと、よろしくお願いします」
「え、いや、あの…」
深々と宅間に頭を下げられて、幸也はどうしていいのか分からなくなった。
スーパーに連れていったのも、料理を手伝わせたのも、幸也の気まぐれだ。
そのことで宅間にここまで感謝される謂われはない。
だが、宅間は嬉しそうに笑った。
「では、また。おやすみなさい」
「あ、はい、おやすみなさい」
宅間に答えて頭を下げ、幸也は宅間が帰っていくのをドアが閉まるまで黙って見ていた。
何だか変な感じだと思いながら、リビングに戻った。
リビングでカインはいつものようにソファーに座り、書類を捲っていた。立派な書斎もあるというのに、この男はここでいつも仕事をしている。このフロアの全部がカインの持ち物なのだから、どこで何をしようと勝手なのだろうけれど。
「宅間は帰ったか?」
カインは幸也が戻ってきたのに、そう言って幸也を見た。
「え、ああ、帰ったよ」
「そうか」
そのカインにそう応えると、カインは軽く頷いて、とんとんとソファーを叩いた。
「え?」
「ここに座れ」
「あ、ああ」
こっちも様子がおかしいと思いつつ、幸也はカインの言うまま、ソファーに座ると、いきなりその幸也の膝に頭を乗せ、カインが寝転んだ。
「…い、一宮っ」
驚いて、大声を上げた幸也にカインはむすっとした顔をして幸也を睨んだ。
「うるさいぞ、黙れ」
「お、お前なあ」
「枕にくらいなっていろ」
「……」
枕にくらい、と言われても、寝る時ですら抱き枕にされているというのに。
初めてこの部屋に泊まった日から、幸也はカインと一緒に寝ている。
客間があるから、そちらで寝ようとしたのだが、気づくとカインのベッドに引きずり込まれている。
一緒に寝るというのがどうやら気に入ったらしいが、なんだか肉食獣にでも懐かれているようで、少し落ち着かなかった。
「…ったく」
とはいえ、眠りという一番無防備な時間を預けられているというのは嫌な感じではない。
休息というものが誰にも必要だから。
ならば、ここでこの男が休息を得られているのなら、それはそれでいいと思い始めていた。
広い部屋の中、ここだけが何だかひどく暖かかった。
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2008.8.10
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