12
やがて、車は高速に乗り、目的地までたどり着いた。
一宮の本宅は本当に大きかった。
車が門の前につくと、自動なのか、大きな門がゆっくりと開き、中へと誘導した。
そして、3人を乗せた車は所定のガレージへとつけられると、宅間が先に車から降りて、ドアを開けた。
「カイン様」
宅間の様子がおかしい。
どこか痛ましげな顔でカインを見て、眉間に皺を寄せている。
幸也の知る宅間はいつも穏やかな微笑を浮かべている。仕事の間もその笑みをたやさず、かなり仕事のできる人だというのは傍目にも分かるのに、できる雰囲気をわざと見せず、飄々としていた。
だから、こんな険しい表情の宅間を見るのは初めてだったのだ。
「宅間、今日はこいつもいるから、帰りは楽だぞ」
「…カイン様」
カインが冷静に言うのに、宅間はゆるく首を振った。
どうしたのだろうと幸也が疑問を持つ前にカインは自宅へと歩き出した。
「橘さん」
カインについて、宅間と二人で歩きだしたとき、宅間が幸也を呼んだ。
「どうか、カイン様をお救いください」
「え?」
「わたしではもうどうにもならないのです」
「……」
どうしてこんなことをここで言うのか。
幸也が疑問を持っている間にカインは自宅の玄関をくぐっていた。
「ただいま帰りました、カインです」
カインは中に入ろうとはせず、玄関のエントランスでそう告げ、その場に立ち竦んでいた。
玄関だけで住めそうだ。
そのカインを追って、中に入った幸也がそんなのんきなことを考えていると、中からけたたましい足音が近づいてきた。
「帰ってきたな、カイン」
中から出てきたのはカインの父だった。
テレビや雑誌にたびたび登場するものだから、幸也も知っている。
だが、ここにいる彼はそのどれにもあてはまらなかった。
メディアに登場する彼はどれも大企業の社長らしく、威厳に満ちていて、だが不意に柔和に笑って見せる、穏やかな資質の人に見えた。事実、そう見ている人間は多いらしく、理想の社長というアンケートではいつも上位にランクインしていた。
けれど、今カインにそういった彼はそのどれもと同一人物とは思えないほどの様相だった。
「はい、帰りました」
「死んでなかったということか」
「はい、死んでおりません」
目の前で繰り広げられる会話に幸也は息を飲んだ。
いくら自分の父がひどい親で暴力を振るうといっても、こんなことを幸也に言わない。死んでなかったのか、などとどれほどの暴言だろう。
なのに、彼はそう言って、カインを睨み付けたのだ。
まさに鬼の形相で。
「カイン!」
驚いている幸也の前で、カインの父はカインに手を伸ばすと、その胸倉をいきなり掴んで持ち上げ、そのまま家の中に引っ張り込んだ。
「…ッ…」
一瞬何が起こったのかわからなかった。
だが、カインは全く無抵抗のまま、家の中に引きずり込まれるのに、幸也は慌ててその後を追った。
「カイン!」
カインの父の怒鳴り声が聞こえる。二人の後を追った先は屋敷の奥、仏壇の前だった。
華やかな花で彩られ、故人がどれほど大切にされ、愛されていたのか、それだけで分かるような祭られ方だった。
そして、その仏壇に一際大きな写真を見つけ、幸也はああと一目で分かった。
人形のように綺麗な顔、透き通った白い肌、そして穏やかに微笑んだその顔はカインにそっくりだった。
「お前がなぜ、生きているっ!」
その仏壇の前でカインの父はカインを折檻していた。
どこから持ってきたのか、杖でカインの背中をひどく叩き、身を縮めて耐えるカインの腹を蹴り、床についた指を足で踏み潰そうとしていた。
「どの面を下げてここにきた!この死神が、悪魔がっ。お前のせいで美鈴は死んだんだ。お前なんぞ、いらんのに、お前が生まれてくるから、美鈴が死んだ!全てはお前のせいだ!」
美鈴というのは仏壇に飾られた女性の名前だろうか。
美しい人だ。カインによく似た容貌の綺麗な女性。
穏やかに微笑む顔からは愛情がにじみ出ていた。
そして、この人はカインの母に間違いなかった。
「お前なんぞ、なぜまだ生きているっ!」
「…ッ…」
バキッと何かが折れる音がした。
てっきり父親の持っていた杖が折れたのだと思ったのだ。
だが、幸也が信じられないものでも見たかのように見つめた視線の先には、父親の足で腕をへし折られているカインの姿があった。
先ほどの音はカインの腕が折られた音だったのだ。
「お前なんぞ…ッ!」
もう一度、男の足がカインの折れた腕に下ろされそうになった瞬間、幸也は何も考えずに飛び出した。
ダンと床を踏みつける音。
その音の大きさに折れたカインの腕をさらに痛めつけようとしているのが幸也には容易く分かった。
幸也はカインを抱えるようにして転がり、父の暴力からカインを庇ったのだ。
「貴様…っ」
カインを庇った幸也に父の怒りの目が向けられる。
その目に幸也は大きく怒鳴った。
「あんた、何やってんだよっ。なんでこんなことをするんだっ!自分の息子じゃないのかよっ」
ずっと、幸也自身も思っていたことだ。
息子じゃないのかと、子供じゃないのかと。
父親に殴られ、蹴られ、いいだけ暴力を振るわれながら、どうしてと。
血の繋がった子供なのに、どうしてここまでひどいことができるのかと。
時々子供を庇って死んだり、怪我をしたりした親のことがニュースになるたびに、この父は自分がこんな目にあったらどうするだろうと想像した。
けれど、想像するたびにその想像は結論が出ないまま終わるのだ。
もしも、そこで見捨てられたら。
母親だって、いくら慕っていても彼女は父の元に幸也を置いて逃げた。
残ったのは幸也の意思で、彼女は幸也に一緒に行こうと何度も言ってくれた。
けれど、結局彼女は幸也を置いて出て行ったのだ。
残された幸也がどんな目に遭うか、想像するのも容易かったのに。
気まぐれに時々優しい父、けれど次の瞬間ちょっとしたことで幸也を殴る父。
彼の勝手に振り回されて、幸也は人を信じることも辛くなっていた。
克己がいなければ、確実にもっと歪んでいただろう。
優しい親友が幸也を受け入れてくれるから、幸也はまだまともでいられる。
けれど、無償で与えられるはずの愛情をもらえないのはどんなに辛いことだろうか。
カインもそんな苦しみの中にいたのか。
「息子?」
カインの父は幸也の言葉にひどく憎憎しげに口を開いた。
「わたしにとってそれは憎い敵でしかない。妻をそれが殺したんだ。それを生んだせいで妻は死んだ。それはわたしにとって、妻を殺した敵なんだ。憎んでも憎みきれない、そういうものだ」
それから、彼は短くカインに向かって言った。
「カイン、早く死ね」
幸也の腕の中で、カインは目を閉じたまま、小さく震えた。
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2008.9.13
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