本当に嫌いだった。
 大嫌いだったのだ。
 何がそんなに嫌いなんだといわれたら、よく分からないとしか新一には答えようがないのだけれど、それこそ幼等部の頃から嫌いだったのだから、生理的な問題なのだろう。
 なのに、その大嫌いな男がどうしてここにいるんだろうか。
 その男と新一、寮長の神辺と三人、今まで一人で新一が使っていた藤峰学院の寮の一室で膝をつき合わせて座っていた。
「渡瀬くん、すまないが、そういうことだから」
「……」
 そういうことと言われて、新一は唇をぎゅっと引き結んだ。
 他にも部屋はあるだろう、と何度も喉元まで言葉が込み上がった。
 けれど、さっきまで受けていた説明は抵抗をすべてうち消すものだった。
「あのですね、寮長」
「うん」
 日頃はこの穏和な先輩をとても慕っている新一だが、今日だけは憎いと思った。
「本当に他の部屋はないんですか」
「ないよ」
 それでも最後の抵抗と口にした新一に、あっさりと寮長の神辺は頷いた。
「さっきもいったように、浅見くんが寮住まいするのは彼の自宅のリフォームが終わるまでのたった1ヶ月間の話だ。確かに一部屋開いているが、あそこは今物置になっていて、そこを片づけるのは一苦労でね、だから、1ヶ月だけ部屋を一人で使っている渡瀬くんと相部屋になってもらうことになったんだ」
「…こいつなら他にも引き取り手があるでしょう!」
 さっきから当事者でありながら、面倒くさそうに頭を掻いている男を指さして新一は怒鳴った。
 その新一に神辺は困った顔をした。
「だから、困るんだろう。確かに浅見くんはもてるから、みんなに言えば相部屋をOKしてくれる生徒は多いだろうけど、その…問題が起きると困るし…」
 ぼそぼそと声を小さくしていく神辺に、新一はふうとため息をついて隣の男を見た。
 浅見亮介。藤峰学院高等部2年の生徒だ。新一とはクラスメートにもあたる。
 成績優秀で、スポーツも国体レベルの実力を持っていると言われている。
 そう、彼を数字だけで見れば、これほど優秀な生徒もいないのだ。
 だが、実際本人の所行を見ればその優秀の文字が別方向にも働いていることが知れる。
 ことの起こりが幼等部、というところで生粋だということが分かるだろう。
 単純に送迎バスでの亮介の隣の席の奪い合いだったらしいのだが、その様が鬼気迫っていて、幼児二人のケンカだというのに、なぜか血なまぐさかった。それから亮介はことある毎にそういった恋愛絡みの問題をこの男子校である藤峰で起こしているのだ。
 二股三股は当たり前、とっかえひっかえ寄ってくる少年に手をつけて回っているらしい。
 その亮介が自宅の改築という理由で、寮生活をすることになった。
 確かにこれで一人部屋にすれば、しょっちゅう誰かが入り浸るだろうし、相部屋にしたとしてもその相部屋相手が誰かで血の雨が降りかねない。
 ある意味、厄介な人気者なのだ、この少年は。
 そして、どうしたものかと悩んだ末、同室相手として新一に白羽の矢が当たったらしい。
「確かに俺じゃあ、どうにもなりやしませんけどね!」
 新一はむすっとして、隣の男を肘で突いた。
 新一の亮介嫌いは全学年が知るほどに有名だ。それこそ亮介が側に寄ってくるのさえ嫌がる。
 まさに毛嫌いしているのだ。
 今年初めて同じクラスになったときもなぜ離してくれなかったのだと学校側に抗議へいったほど。
 それだけ嫌われていれば、亮介も新一が嫌いだろうと思うのだが、この男は怒鳴る新一の隣で飄々としている。
「おら、ちゃんと話聞け!っていうか、おまえも俺と一緒じゃいやだろうが!」
 これで亮介もいやだと言ってくれたら、神辺も無理は言えないだろうと思ったのだが、亮介は新一が思ってもいなかったことを言った。
「俺はおまえと一緒の方がいいけど」
「…はあ?」
 あっさりと亮介は言い、神辺を見た。
「神辺さん、俺はこいつと一緒の方が問題ないし、楽だからいいっす。つうか、この選択、ありがたかったんで」
「そ、そっか」
 神辺は亮介にじっと見られて、しどろもどろになる。
 参ったなあ、彼女いるんだけどーと何か言い訳めいたことを口にしながら、神辺はじゃあと新一を見た。
「浅見くんもこういってるし、たった一ヶ月だけのことだから、仲良くやって?な、頼むよ、渡瀬くん」
「神辺さん!」
 じゃあ、そういうことで、とさっさと神辺が出て行くのに、新一はむすっと頬を膨らませた。
「…なあ」
 どうしてくれようかと神辺に対する報復方法を考え始めた新一を亮介が呼ぶ。
「なんだよ」
 原因はこいつなんだよなと、リフォームの間くらいどっかよそにいけと思いつつ、新一が応えると、亮介はベッドを指さした。
「どっちで寝たらいいんだ?」
「……」
 ここで意地悪なことをしても仕方がない、ということか。
 新一は諦めてため息をひとつつくと、こっちと右のベッドを指さした。
「そっちの右側のベッドと机、クローゼットを使っていいから。後、他に荷物があったらベッドの下に床下収納があるから、それ、使え」
「ああ」
 新一が指示すると、亮介は早速ベッドに潜り込んだ。
「寝るのか?」
「…昨日、寝てなくて…」
 荷物をまとめるのに時間がかかって、寝れなかったということか。
 その割に亮介の荷物は大きめのスポーツバッグと制服くらいで対して物がない。必要な身の回り品だけを持ってきたようにみえる。
 恋愛ごとで騒ぎをしょっちゅう起こしているわりに、この男はいつも気怠そうで、面倒くさそうな顔をしている。その男が荷物をまとめるということはきっとかなりの仕事になるのだろう。
 適当な理由をつけて、新一は納得すると、こちらに背を向けて寝ている亮介に呼びかけた。
「おい、なあ」
「…なに?」
 寝てはいなかったらしい。眠そうだが、返ってきた言葉に新一はホッとして言いたかったことを言った。
「朝飯は六時三十分から七時三十分までの間、夕飯は六時から八時まで、下の食堂に用意してある。時間に遅れたらないからな。風呂は大浴場が一階にあって、時間は二年が八時から九時の間に入ることになってる。シャワーだけは部屋にあって、これはいつでも入っていい。で、門限は八時。それから」
 これは言っておかなければと新一は亮介に強く言った。
「この部屋は俺の部屋でもあるんだから、誰か連れ込んだり、入れたりするなよ。話があるなら一階の娯楽室に行け。後、この寮にいる間はあんな馬鹿げた騒ぎ、起こすなよ」
「…分かってる」
 そういいながら、寝返りを打つように亮介が新一の方に振り向いた。
「騒ぎなんか起こさない。規則も守る。それでいいよな」
「ああ、その通りだ」
 亮介の目が自分を映し出すのに、新一はどきりとする。
 色素の薄い亮介の目の茶が新一の中の何かを揺さぶる。
「それから」
 ぼうっと意識を飛ばしそうになっていた新一に亮介が囁くように言う。
「おまえが部屋に誰も入れないんなら、俺も入れない」
「…当たり前だ」
 おまえと違うんだから、なんで男を連れ込まなきゃならんと新一が息巻くと、亮介は小さく笑った。
「相変わらずだな、新一」
「……」
 名前を呼ばれて心臓が跳ねる。
 この男の声は胸に刺さって痛い。
「まだ、俺のこと、嫌い?」
「大嫌いだと言っている。皆知っているくらいだろうが」
「…そうだな」
 亮介は柔らかく応えて、それから低い声で囁くように言った。
「そのまま、俺のこと、大嫌いでいて」
「…はあ?」
 何の念押しだと新一が驚いて亮介を見ると、彼はもう目を閉じていた。
 寝るからという意思表示に新一は呆れたようにため息をつくと、予習をしようと机に向かった。
 明日からどうしようかと、一抹の不安だけを抱えて。











top / next
2007.2.18

back / index / home