学生社長なんて言葉は雑誌の中でだけ存在しているものだと思っていたし、まして実在したとしても大学生だと思っていた。

 だが、橘幸也の通う高校にその学生社長がいた。

 しかも幸也と同い年の高校二年生でクラスメート、社長になったのはそれから3年前というのだから、中学生の頃から社長として第一線に立っているという。

 元々頭がよく、小学生の時に父親から百万円を借り受け、それを元手に株取引で元金を増やし、その後はゲーム会社を立ち上げたという。

 その会社でカードゲームとテレビゲームを連動させたゲームを発売したところ、瞬く間にその会社は大企業へと発展し、今では誰もが知る大企業にまでのし上がった。

 それからの活躍は雑誌やテレビで多く取り上げられ、誰もが知るところだ。

 だが、幸也はその男が嫌いだった。

 単純に初めて顔を合わせた時に手ひどくあしらわれたせいだ。

「なあなあ、あんた、社長なんだってなっ」

 噂では何度もその存在について話を聞いていたものだから、一度会って話がしたいと思っていた。

 社長という肩書きを持つ、同い年の少年。

 その人はどんな人なのかと。

「……」

 だが、彼は幸也が近寄ってきたのに、どこか冷めた目を向け、一瞥したのだ。

「うるさい、寄るな」

 そんな冷たい一言さえも投げかけて。

 そのあまりの冷たさに幸也はそれ以上何も言えなくなってしまい、全身から発せられる近づくなというオーラにそれ以降側に近寄ることすらできなくなった。

 それから、幸也は彼が嫌いになったのだ。

 彼の名は一宮カイン。

 父親は不動産会社の社長で、一宮グループの会長だという。そして、本人は株式会社カインの代表取締役社長。

 そんな肩書きを持ち、カインという一風変わった名が相応しいと思えるほどの冴えた美貌の持ち主だった。

 自由服で、私服が許可されている学校にスーツで現れる。それが全く嫌味ではなく、はまっているのだ。

 学校に来るのは週に1、2度。後はレポートを提出することで出席日数の不足を補っている。

 公立高校でよくそんな勝手が認められていると思ったが、その勝手が通じる状況にカインがしてしまっているのだろう。

 最初、そんな話を一年の頃に聞いた幸也はどこかで憧憬の念すら持っていたのだ。同い年の少年にそんな勝手が許されるだけの力を持っているものがいるというのは何だかかっこいいような気がしていたから。

 だが、2年になって、同じクラスになり、その時に何とか一言なりとも口をききたいと思って声をかけた際に手酷くあしらわれてから、それら全てが傲慢不遜な、金持ち特有の身勝手に思えてしまったのだ。

 それから幸也はずっとカインが毛嫌いしていた。

 そして、今日も欠席しているカインに幸也はその空いたままの机を睨みつけて唸っていた。

「ったく、社長さんがそんなにえらいのかねー」

 教師もカインが来ていまいが全く気にしない様子で授業を進める。それも幸也の神経を逆撫でした。逆に来ているときには異常に気を遣ってみせる教師が煩わしかった。まして、そうさせるカインの存在が憎らしかった。

「そりゃあ、えらいんじゃない?」

 その幸也の隣で、カバンにノートをつめているのは山瀬克己という幸也の親友だ。

 いさかか乱暴な面のある幸也だが、こののんびりとした雰囲気を持つ克己を気に入っていた。

 おっとりとして優しくて、けれどこうと決めたら動かない頑固さも持つ、この友人が好きだった。

「克己?」

「だって、社長だしね、社員さんにしたらえらいんじゃないの?実際、一宮くんとこの社員さんはみんな一宮くんを尊敬してるし。若いけど、よくやってるし、何より働きやすい場所を作ってくれてるって」

「そうかー?」

「そうだよ。そう、聞くし」

 克己はのんびりした性格だが、ゲームに関してはかなり知識があり、何より強い。その腕を買われて、時々カインの会社に出向いてゲーム開発の協力をしているという。カインほどではないが、それなりにゲームのプログラムができると言っていた。

「一宮くんは真面目だし、賢いし、それに優しいよ」

「…そんなはずないだろ」

「橘くん?」

 克己の優しいという言葉に声を低く返した幸也に、克己が首を傾げた。

「どうしたの?」

「あいつさあ」

 言っていいものかどうか、一瞬迷いつつ、幸也は口を開いた。

「あいつ、捨て猫、無視したんだよ」

「捨て猫を?」

「ああ」

 少し前のことだった。

 幸也がバイトから帰る途中のこと、空き地に猫が捨てられていた。

 ひ弱な声でずっと鳴いていたのだ。

「空き地にさ、捨てられてて。もしかしたらこのまま死んじまうんじゃないかって思ったくらい、かなり弱ってたんだよ。本当はオレが拾って帰りたかったんだけど…」

「……」

 一瞬口ごもった幸也に勘のいい克己が目を細めた。

 幸也の家は父と二人の父子家庭だ。母親は数年前に出ていった。それも全て、父の暴力のせいだ。

 殴る蹴るは当たり前で、幸也は一度ひどく蹴り上げられすぎてあばら骨を折ったことがあった。母親への暴力はもっと度を越していて、あのまま彼女が出ていかなかったら、今頃殺されていただろう。

 本当は、母は幸也を連れていきたがっていた。だが、幸也はそれでも父が心配で残ったのだ。

 普段は普通の父親だ。どこにでもいるようなタイプだろう。けれど、一度機嫌が悪くなると手がつけられなくなる、そこにアルコールなんて入った日には酔いつぶれて眠るまで暴れ続ける。幸也はその父を宥めて、殴られながらもずっと世話をしていたのだ。

 そんな父でも幸也には親だったからだ。

「…オレんち、親父がああだからさ、酔ったら何するか分からないし」

 けれども、猫を置いていくのは忍びなくて、ずっと側で見ていた。

 その時だった。カインが通りかかったのは。

「珍しく、あいつ、車じゃなくて、歩いて家に帰るところだったらしくてさ。オレ、だめかも知れないと思ったけど、あいつに頼んだんだよ。猫、拾ってくれないかって」

『一宮!』

 まるで幸也のことなど、路傍の石とでも思っているのか、すたすたと歩いて通り過ぎようとしたカインに幸也は意を決して声をかけたのだ。

『お前んち、広いんだろ。なあ、猫、飼ってやってくれないか?このままだと、こいつ、死んぢまいそうなんだよ』

「けどさ、やっぱりあいつはひどいやつだったよ」

『そんなこと、オレに何の関係がある』

 少し青みがかかった、不思議な色をカインの目が持っているのをその時初めて知った。

 その目が幸也を冷たく見下ろし、その口ははき捨てるように言って、そのまま立ち去ったのだ。一切振り向かず、先ほどよりも歩くスピードを速め、まるで煩わしいものに時間を取られたと言いたげに。

「確かにあいつと猫は関係ないけど、でも、あんなふうに言うことはないと思うんだよ」

 どこかで裏切られたような気持ちになったのだけは隠していた。

 なんとなくだけれど、カインが助けてくれるんじゃないかと期待していたのだ。

「やっぱり、ひどいヤツだよ、あいつ」











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2008.6.30

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