善美は俊明を店の奥に招くと、従業員に中に入らないよう命じて、ドアを閉めた。

「よかったら」

 備え付けられた小さな冷蔵庫の中から冷やした紅茶を出すと、グラスに注いで、それを俊明に善美は渡した。

「ありがとうございます」

 善美に促されるまま、椅子に座った俊明はまんじりともしないで、善美を見た。

 その俊明の視線に善美は穏やかに微笑んだ。

「…本当はわたしが口を出すことじゃないだろうし、あの時の話はしない方がいいのかもしれないけれど」

 善美はそう言って、それからゆっくりと話し始めた。

「ただ、わたしはあの当時、俊明くんを嫌っていたし、憎んでいたから」

「…え?」

「もちろん、君をそうだと知らずに、だけど」

 善美は首を傾げた俊明に言葉を繋いだ。

「わたしにゲイの友人が多くいるのは知っているよね。わたし自身もセクシャルなことにはあまり垣根がないほうで、同性に魅かれる気持ちもよく分かる。とはいえ、わたしが今のところ、好きになったのは女性が多いんだけれど」

 善美はそこまで言って、自分の分にと注いだ紅茶に口をつけた。

「あれは3年ほど前だったか、わたしの知人が経営しているバーがあるんだが、そこに時々顔を出す青年がいると、その青年が結構危なっかしいので、よかったら見てやってもらえないかと頼まれたんだよ」

「…それ…」

 3年前と言えば、一番享が荒れていた時期だ。

 歩美が享の様子がおかしいと、言っていた。

 だが、ある日を境に少し穏やかになったようだと。

「それで、その店に顔を出すようになったんだが、確かにその青年は危なかった。誘われたら拒まない。誰でも構わないというポーズでね。…これは危ないなあと思っていたら、案の定だった。…友人が恐れていたことが起こったんだ」

「…もしかして」

「もしかして、だよ」

 善美はそう言って、ゆっくりとその当時の話を始めた。

 その話をただ、俊明は瞬きもしないで聞いていた。

 そうすることが、自分にたった一つできる贖罪だとどこかで思っていた。

 











 

 

 どうしようかと俊明は思いながら、マンションまで歩いていた。

 車は善美にそのまま置いていけと言われた。

 今の様子では事故を起こしかねないと優しい男はそう諭した。

 その言葉に俊明も逆らうことはできず、頼みますとそう頭を下げて店を後にした。

 本来ならタクシーを拾う距離。

 けれど、そうもできずに歩いて向かっていた。

 聞かなければよかったとも思った。

 けれど、どこかで聞いてよかったと思っていた。

 聞かずに享の悲しみは分からない。

 俊明が享を傷つけさえしなければ、起こらなかったことだ。

 大事な人を傷つけた、だから起こったこと。

 本当ならば、俊明が受けるべき傷だったのかもしれない。

 いや、俊明が受けるべき傷だったのだろう。

「…はあ…」

 どれほど歩いたのか分からない。

 けれど、見慣れた自分のマンションが見えた時、知らずにため息が漏れた。

 そして、そのマンションの影に思い浮かべていた人がいた。

「…享」

「お帰り、俊明」

 穏やかな表情はひどく綺麗だ。

 元々その容姿に惹かれてもいた。

 綺麗な横顔だと見とれたこともある。

 だが、何より惹かれたのはその内面だった。

 穢れを知らず、けれど芯の強さが愛しかった。

 その享を俊明は壊した。

「…ああ、ただいま」

 俊明は享に向かって微笑むと、いつものように部屋に招き入れた。

 このまま帰すなんてこともできない、まして帰したいとも思わない。

 どうしたらいいのかと、そう思った時だった。

「善美さんから電話があった」

「……」

 コーヒーでもと場つなぎにそう言いかけた時、享が口を開いた。

「別れよう、俊明」











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2010.4.27

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