ドアを開け、入ってきた人は細身の痩身を柔らかな色合いのベージュのセーターに包み、きょろきょろとあたりを見回している。

 その姿に俊明は目を細めた。

 入ってきたとたん、人の視線を集めているのは恋人の坂崎享だ。

 まだ自信なさげに背をかがめ、きょろきょろと自分を探している姿に一瞬悦に入りかかって慌てて手を挙げた。

「こっち、享」

「…あ」

 呼ばれた途端、ほっとした顔で微笑んだ享に、これが正解なんだなと思い返す。

 5年前なら享が俊明を見つけるまで放っておいた。

 ああして不安そうにおどおどとして必死で自分を探している享に、彼が頼れるのは自分だけなのだという暗い優越感に浸っていたからだ。

 だが、今はそんなことはしない。

 あの時は独占することばかりに意識が向いて、亨から自我を奪おうとしてしまった。

 享から思考することを奪い、他に目を向けさせないために俊明しかいないのだと刷り込ませた。

 本当は享は自分をよくわかっていないだけで、そのやわらかで優しい顔立ちやスレンダーな体つきは他人の意識を十分惹いていて、彼が望めば望んだだけの人間を意のままにすることだって可能だったのだ。

 多少の欲目が入っていることは自覚しているけれど、それでもその認識はあながち間違ってはいないと俊明は思っていた。

 今だって、あの笑顔ひとつでこの店にいる他人の関心をひいてしまっているのだから。

「ごめん、遅くなって」

「仕方ないだろ、もう年末だ。お前のとこはこの時期が一番忙しいんだろ」

「ん、でも…」

 申し訳なさそうに目を伏せた姿にぞくりとする。

 5年、傍にいなかった間にこの自分自身に無頓着な恋人は色気を漂わせるようになった。

 あの頃はまだ幼くて色気なんてかけらも見せていなかったのに。

 けれど、あの時の俊明はまるでバージンスノウに足跡を付けるような享の初心さに夢中になったけれど。

 今もその片鱗を覗かせながら、そこに色気が加わっている。

 この5年間のことは享の妹の歩美から非難かたがた聞かされてはいる。

 俊明と別れた後、享は一定の付き合いせず、一晩だけの付き合いを繰り返していたというのだ。

 あの享がと、その話を聞いた時、信じられなかったけれど、それでもそれは事実だったと享本人からも肯定されていた。

「いいって。俺のがよく待たせてたし。ほら、ここ、最近できたけど、評判いいんだって。うちの花も入れさせてもらってる、お得意さんだけどな」

「へえ」

 話を変えようと、そう振れば、享は辺りを見回して、関心したように呟いた。

「本当だ、花が多いね」

「ああ」

 このレストランの花の指定は随分と細かかったと思いだす。

 俊明が担当したのだけれど、花粉の多くないもの、匂いの薄いもの、けれど華やかで、という指定で、随分と四苦八苦したものだ。

 それでもやりがいがあったと、思い出した。

 発注者のオーナーシェフは俊明よりも少し年齢が上というだけで比較的年が近かったこともあり、公私ともに今も付き合いがある。

 実は今日、この店に享を連れてきたのも彼に会わせたいという気持ちがあったからだ。

 酔った席で享のことを話してしまったこともあり、うまく復縁できたら会わせると話していたのだ。

 ただ、相手が同性と話してはいなかったが、そういう偏見がないことは何度も会っていて、確信していたし、彼の親しい友人の中にゲイであることを公表しているものもいたから、大丈夫だと思っていた。

 ただ、享に個人的な興味を持たれたら困るなと、そんな惚気にも似た心配だけはしていた。

「やあ、俊明くん」

 その時だった。

 穏やかな声色が俊明を呼んで、彼が来たのだと俊明は嬉しさに微笑した。

「え、誰?」

 その俊明に享が驚くのに、俊明はああと頷いた。

「ここのオーナーシェフ。予約したときに享を紹介したいって言っておいたんだよ」

「…え、そうなのか?」

 驚く享に俊明は頷いて、彼を手招くように呼ぶと、シェフはテーブルの傍らに立った。

「いらっしゃい、俊明くん」

 彼の言葉に俊明は頷くと、笑顔を作った。

「予約、無理を聞いていただけてありがとうございました。お約束通り、連れてきたんですよ」

「へえ、そうなの」

 にこやかな彼の様子に、俊明は享に目を向けた。

「亨、この人がここのオーナーシェフで喜美さん。…享?」

 その時、ようやく俊明は享の様子がおかしいことに気付いた。

 愕然としたように目を見開き、頬を紅潮させている享。

 そして、喜美も同様に驚いていた。

「…喜美、さん」

「…そうか、君が」

 享がぼそりと喜美を呼んだのに、喜美は表情を元のにこやかな笑顔に変え、なんでもなかったように享に微笑みかけた。

「今日は腕によりをかけて、最高の料理をお出ししますから、存分に楽しんでください」

 そして、それだけ告げると、また後ほどと言い残して喜美は行ってしまった。

「…享」

 ただ、困惑した俊明と、今にも泣き出しそうに顔を蒼白にしている享がテーブルに残された。











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